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Precious(ありがたい)時間♪
久しぶりのお休み
手帳にストック書きしていた“見たい映画”の中から
【プレシャスPrecious】を選んで鑑賞。
あらすじだけ書くと、とにかく暗い
父親の子を産み、母親にも虐待され、
高校を退学になったニューヨーク・ハーレムに住む
16歳の黒人少女の話。
子供への性的・肉体的な虐待、教育の問題など、
アメリカの貧困層に焦点を当てた映画。
しかし、よそのお国の不幸なお話しではない。
日本でもよく起きる幼児虐待事件の背景には、
必ずといっていいほど、母親に男がいる。
そして、母親はその男からの愛情を優先する結果、
子どもは、無視され邪険に扱われることになる。
その悲劇の構図が、最悪の状態でこの映画でも描かれている。
特に、虐待する側の心情が、母親の独白とともに明確になっている。
無邪気に笑い、楽しそうに夢見る子供は許せない。
自分より幸せそうにする、誰かに褒められる、そんな子供に苦痛を与え虐待する。
自分のほうが幸せでいたいと思う。
この母親のように、
子供に虐待する(暴言を吐く・無視する・愚痴ばかりいうも同じ)人間は、
往々にして人間関係を築く能力が低く、
交流関係や友人も少なく社会的・世間的にも幸せじゃない人が多い。
唯一、自分の支配下にあると勘違いしている子供に対してのみ、
その不幸な不満をぶちまける。
「なぜ、私が、私が、私が、幸せを得ることができないのに、この子が…」と、
子供が幸せな未来を築くことができるという可能性を
見続ける苦痛に耐えられないのだ。
自分の子どもをなぜ憎いと思うのか、
虐待する側の孤独な本質がこの映画では語られている。
カウンセラー役にマライア・キャリー(ほぼスッピン)、
学校の先生役にポーラ・パトン(憧れるほどの美人)、
看護士役にレニー・クラビッツ、
など脇役は豪華なのに、
とにかく画面は一貫して暗い印象。
それに、あらすじだけだと、目を逸らしたくなるような中身なのに、
映画全体に流れる“清潔感”は、
何なんだろう…。
卑屈極まりない幼稚な親と腐りきった貧困の泥沼の中から、
凛として足を洗う決心をしていく16歳の少女に、
“人間としての品格”と
“自律”とは何かということを
あらためて教えられる。
また、格差社会を産だす根源を抱える一方で、
泥沼に飲み込まれそうな少女に手を差し伸べる人々のネットワークと、
それを支える国のセイフティーネットが存在している
アメリカ社会の混沌とした多様性を見せられる。
プレシャスの家族の生活保護を担当している
福祉課担当の女性職員も、代替学校の女性教師も、
プレシャスの援助者ではあるけど、
決して、日本でよくあるようなウエットな対応をしない。
弱者を弱者として憐れまない毅然とした態度がある。
しかし、それは決してお役所的な冷淡さではなく、
規則や制度を死守しながらも、
それぞれの役割と責務の冷静な態度を通して、
目の前の少女を守り育てるという覚悟
を持っている。
背負った境遇の厳しさを誤魔化さない現実的な姿勢と、
未来を一緒に信じる
強さと根気、
そして、あなたを愛している
と言い切れる清さがある。
すべの分野で手助けすることはできない。
しかし、少なくとも自分の役割の中で「何ができるのか」
そして、「関わる覚悟があるのか」という
援助側の姿勢にも、襟を正す時間がもらえた映画だった。
映画っていい・・・。
っていっても、今回は、DVD200円ですが(^_^;)
コイン2枚で、知らない人生を体験させてもらえる。
自分の人生とはほど遠い世界だけど、
必ずどこかに、自分を投影して観ている。
映画のエンドロールをぼ~っと眺めながら、
ゆっくりスクリーンの世界での余韻を鎮めていく。
外に出て、深呼吸する。
空を見上げる。
ちょっと冷たくなった空気が体中に充満する。

ひと泳ぎしたような心地いい疲労感で
張っていた何かが、
緩んでいる…。
※映画 “『プレシャス』(Precious: Based on the Novel Push by Sapphire)”2009年米国映画
アカデミー助演女優・脚色賞、ゴールデングローブ賞3部門 受賞作品